【戦慄!】学校教育により生み出される社会の駒たち!(誇張表現あり)

今回は少し踏み入った内容になります。

テーマは学校教育の闇ともいえる部分についてです。

一口に学校教育といえども多々あるかと存じますので、ここでは主に小・中9年間の義務教育を中心に行われる、

ある種洗脳とも言える偏重教育についてお話ししていきたいと思います。

現代社会においてこれらの教育にどっぷり浸かった世代が、社会に出るに際し、

それらの弊害ともいえる価値観の偏りによって、無意識のうちに自らの選択肢を狭めてしまっているかもしれません。

また個人間だけではなく社会全体としてもそれらの価値観を共有してしまっているおかげで、

なかなか本質に気づきにくいという状況に陥ってしまっているのも大きな問題です。

それらの事実にいち早く気づき、本来の社会の在り方やその仕組み知ることによって、

従来の教育内容に縛られない柔軟な発想ができるようになるはずです。

(一部過激な表現が使用されていることをあらかじめお詫び申し上げます。)

学校教育により生み出される社会の駒たち!

まずは学校教育における闇とは実際にどのような部分のことを指すのかについて、深く掘り下げていきたいと思います。

もちろん学校教育のすべてが悪だと言っているわけではなく、あくまでも一部の偏った教育や歪な構造についての問題提起です。

どんな物事にも正の部分と負の部分が存在します。そして、それらの両方の側面をきちんと理解することによって、

はじめて完全にそれを理解したということが言えるでしょう。

そのためにもまずは真実を知り、そのうえで自身の納得する道を選び取ることが大切なのです。

肝心なことは教えてくれない

学校教育の異質な点として、社会に出た時に直接的に役に立つ知識を教えてくれないということが挙げられれるでしょう。

具体的に2つの視点から見ていきたいと思います。

法律などの社会のルール

一つ目に、法律などの社会の基本的なルールについてです。

基本的な法律の構造や憲法、また重要な一部の法律などは公民などの授業で多少触れはしますが、

あくまでもさわりだけにとどまっており、深く理解することはしません。

確かに全てを網羅することは厳しいですし、時間的、難易度的要因から簡単なところしか触れることができないことは言えますが、

モラルや道徳的な教育に力を入れている割には、実際にそれらを行使する核心部分となってくる法律についてはないがしろにするという有り様に、大きな違和感を感じます。

極端な例をあげると、

いかに命の尊さを語っていても、肝心の殺人罪についてはノータッチということと同義だと言えます。

お金の稼ぎ方や経済の仕組み

また、お金の稼ぎ方や経済的な知識についても積極的に教えてはくれません。

不動産や税金の知識など、社会に出た時に有用な知識こそ、本来重点的に教育するべきではないでしょうか。

反対意見として、それらの経済の知識を教える前に、社会全体の成り立ちや数字の扱い方について教育を施しているんだ、というような意見もありますが、

それにしてはあまりにも回り道過ぎると感じます。

これは学校という教育機関が、資本家ではなく労働者を育てることに尽力しているところに本懐があります。

もし仮に一般市民が個人で稼ぐ術を学んでしまっては日本経済を回すための担い手ががいなくなってしまいます。

そうならないためにも、あえて知恵をつけすぎないように、セーブをかけているのです。

社会の駒を作り出す工場

また、前述の偏重教育の目的と重なりますが、軍隊式の管理体制というのも、学校教育の負の遺産の一つだといえるでしょう。

これらの目的は、健やかなる青少年の育成という名目の基、社会に帰属させ、資本家にとって扱いやすい人材を量産することにほかなりません。

その証拠に、個性をそぎ落とし集団の枠に無理やり当てはめることにによって、与えられた命令のみを忠実にこなす、社会の駒を作り出しています。

単なる社会の駒にならないためには

いかがでしたか。学校教育の闇ともとれる負の部分についてお分かりになられたでしょうか?

実際にはその構造はもっと複雑なものになっており、前述したは負の部分は、それら全体のほんの一部でしかありません。

しかしながら、今現在においてもこういった不誠実がまかり通っているのもまた事実です。

それではこれらの事実を知ったうえで、どのような考え方、またどのような行動をとることが推奨されるのでしょうか。

植え付けられた価値観に縛られ続けることのないように、自身の未来を切り開く方法について見ていきましょう。

学校が常に正しいとは限らない

第一に、今まで自身が抱いていた常識というものを疑ってみる、そして、誰の作為もなく客観的に見て正しいと思うものを選び取るということが重要になってくるでしょう。

これは、学校教育だけによらず、身にふりかかるすべての情報について一考の余地があるということでもあります。

学校教育に立ち返ってみても、学校といえどもその裏には何らかの圧力が働いていることは事実ですし、

それと同様にどんなに位の高い人間や、信頼と実績のある権力者であってもその口から出る言葉がすべて正しいとは限りません。

信じるものや相手が正しい存在であることも大切ですが、最も大切なのは、それが何であれ、自分の頭によってその是非を考えるということなんです。

その結果、自身が受けた学校教育が正しいと感じたのならば、社会の駒に身を投じるのも良しです。

大切なのは、自分の意志で選び抜いたかどうかなのです。

働き方も一つではない

働くという行為においても千差万別であり、一口に働くと言えどもその在り方は膨大な数存在します。

働き方とは決して一つに限定されるようなものではなく、同じく価値観を共有してお互いに指南し合うようなものでもありません。

現在情報社会においてそれらの多様性が表面的なものになりつつあります。

これはとても良い傾向だということが言えるでしょう。

一昔前までは、馬鹿の一つ覚えみたいに社会人像というものが固定化されており、決められたレールの上を走るだけの人生がほとんどでした。

しかし今は違います、自由に働き方、ひいては生き方というものを選択することが可能になっているのです。

だからこそ皆さんも、できることなら社会の駒に甘んじるのではなく、自分の意志で自分だけの生き方を切り開いていくことをおすすめします。

ここまでご高覧いただきありがとうございました。

そして一部過激な表現があったことを重ねてお詫び申し上げます。それでは!

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