フリーターの視点から見る“これからの時代”の未来予想図~その2~

前回までのあらすじ:「企業」や「労働者」といったそれぞれの立場から、雇用の現状について考察を図りました。そこから労働者の視点をより限定的なものにして掘り下げるために、「フリーター」という肩書きについて明確化したところで、一旦の状況説明に段落がついたところです。

→今回は前回の記事「フリーターの視点から見る“これからの時代”の未来予想図~その1~」の続きになります。

今回の考察記事には前回までのあらすじが重要になってきますので、ぜひそちらの記事をお読みになったうえで、今回の記事に目を通されるようお願い申し上げます。

フリーターの視点から見る“これからの時代”の未来予想図~その2~

さて、後編となる今回で、ようやく主題である“これからの時代”の雇用の在り方についてお話しができることと思います。

企業や労働者の立場が変化する中で、それらは今後どのように舵を切っていくことになるのでしょうか。

もちろんフリーターの今後についても解説を交えつつ、深く掘り下げていきたいと思います。

必ずしも労働に縛られない生き方

前回の考察で明らかになったように、企業や労働者の現状とその変遷を顧みるに、これからは必ずしも労働に縛られない生き方が主流になってくると予想できます。

これはもはや雇用体制の崩壊といっても過言ではなく、個人が労働者の枠を逸脱し、単なる一つの個人に帰結することの現れでもあります。

現時点でいえば、多くの労働者は雇用主に対して下手に出すぎていると言えるでしょう。

特に日本では、諸外国に見られるストライキや労働改革といったものに関心が低く、労働組合も完全に機能しているとは言えません。

しかしながら、企業と労働者の関係性が希薄になり、前述した要因からそれらの結びつきが弱まっていくにつれ、両者が単独で機能し始めるということが起こりえる事態に変容しつつあります。

具体的にはフリーランスや個人事業主、個人投資家、もっと言うとフリーターなどからも、それらの予兆はすでに実現し始めています。

これらはインターネットの発達に代表される様々な技術革新や社会システムの移り変わりによって存在することが可能になった新たな労働の道だということが言えるでしょう。

つまるところ農耕民族から狩猟民族への原始回帰と形容することもできます。

企業に帰属した労働行為を農耕とするならば、それらに依存しない単一での収入源の確保は、さながら狩猟行為となります。

言うなれば、労働に関係する時間や空間からの解放であり、それに追従するように、労働者全体の在り方としてより企業に依存しない存在へと変化していくということが考えられるでしょう。

これは現在のフリーターや派遣社員に近い存在になると言えます。

また企業に依存しないだけではなく、労働自体が必要でなくなる未来も可能性としては十分にあり得るということについても、次いで解説していきたいと思います。

働くことが高尚な生産活動になる

産業革命以降、過去の人力での労働行為は新たな技術に取って代わられ、人類は必ずしも生きるために働く必要がなくなったということはある意味での事実であります。

にもかかわらず、さらに技術が進歩した現代においてもそれらの労働が完全になくなることはありませんでした。

技術面でいえば、様々な家電の登場によって家事に注力する必要がなくなり、それらの責務から解放されたのは非常に身近な出来事ですが、

こと仕事に関しては、一向に楽になる兆しが見えず、人々は今現在でもやりたくもない労働にいそしんでいる状況です。

本来であれば技術の進歩に伴って、もっとそれらの恩恵を享受してもいいはずなのに…。

しかしそんな現状に甘んじていたのももはや過去のこと。

これからはそういった違和感というものに大衆が気づき始め、積もり積もった不満が一気に表面化してくることでしょう。

労働という行為に対する盲信的美化の崩壊が始まるのです。

現に、誰にでもできる仕事は機械化にとって代わられ、残ったとしてもより安価になっていることが確認できます。

また情報格差や貧富の差は広がりを増す一方で、時間という一つの基準では統一できなくなることも予見されます。

それらの歩合制、能力至上主義によって、仮に労働によって満足のいく給料を得ようとするのならば、自分の価値を高めていく必要があるということが言えるでしょう。

時給脳のままでは一向に賃金の上昇が見込めることはありません。

単純労働の淘汰や、労働自体の価値の低下、さらには労働に対する人々の意識の変化から、これからは

能力のある人間が、自分の意志でフレキシブルに生産活動にいそしむということが、これまでの労働の意味に取って代わることになるでしょう。

フリーターが最も賢い選択になり得る

上記の雇用の変化から推察するに、まず定年という考えがなくなることが言えます。

労働者の多様化は、時間的・空間的制約を取っ払ってしまいますからね。

そして、そもそも雇用という概念がなくなるということも、あながち間違いではないでしょう。

日本は弱者にやさしい国なので、現代社会においても働かずとも生きていくことは可能ですし、

仮にベーシックインカムが導入されれば、必要最低限の金銭的保証がなされるので、本格的に労働自体が強制では無くなります。

これらのことから総合するに、企業に属して安定を得ることを放棄し、プライベートでの生産活動に重きを置いているフリーターという存在こそが、

見方によっては、現時点で最も未来を見据えた選択をとっている存在である、とも考えられます。

今後企業のブランド力の低下、すなわち正社員の価値の低下に伴い、さらにフリーターが市民権を得る可能性も十分に考えられます。

ただしそれはあくまでも労働に対する個人の在り方について賢い立ち位置にいるということであり、

何の生産性も持たない人間であれば、果たして個人としての価値があるとは言い難いと思いますが…。

今回の記事の総括

いかがでしたでしょうか。2部構成にわたる長編記事となりましたが、企業や労働者の今後や、雇用というものの在り方について、深くお分かりいただけたでしょうか。

また、フリーターという立場から見ることによって、その変化が直感的に理解しやすいものになっていたでしょうか。

おそらく今後の日本社会は、実際にこのような変化の一途をたどることになるかと思います。

そうなった場合に狼狽することなく、余裕をもってそれらの変化に対応できるように、

現時点からしっかりと未来を見据えた対策を練っていくことが、明るい未来を享受するために必要不可欠になってくることだと思います。

もし現在の働き方に一抹の不安を抱いている方や、実際にフリーターとして将来に焦りを感じていた方は、ぜひこれを機会に自らの働き方について、改革を進めていくことをおすすめします。

これからの時代に取り残されることのないように、自身の意思と行動によって、理想的なな未来予想図を作っていきましょう。

長くなりましたが、最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。また次回の記事でお会いしましょう!

コメント

タイトルとURLをコピーしました