
皆さんこんにちは!ヒミコ(@himiko_25)と申します!
*今回は若干自己啓発的な内容になります。
といっても、やる気や根性などといった生産性のない精神論ではありませんのでご安心を。
内容は人生における“選択”というものについてです。
″人生は選択の連続である″
という言葉もあるように、私たちは日々何かの選択に迫られています。
日常の何気ない行動から、ビジネスシーンなどのシリアスなものまで、常に何かを選び取り、何かを捨てることによって前に進んでいっているのです(こんなこと改めて言われなくてもわかってますよね汗)。
―しかしながらそれらの選択のすべてにおいて、満足のいく結果を得られるかというのは、非常に難しいことだと思います。
やはり何かの選択の後にはそれに伴って後悔の念も発生することでしょう…。
たとえ後悔しなかったとしても
果たして過ぎた選択が本当に最善だったのか?
もっと別の道はなかったのか?
といった自問自答がやむことはないと思います。
―そこで今回は、そんなビジネス、ひいては人生における“選択”というものに対して、自分の中で折り合いをつけ、迷いを吹っ切る方法を伝授していきたいと思います!(何様なのか)
ちょっとでも興味のわいた方は、ぜひ最後まで見ていってください!
*キーワードは「そもそも」です。
選択に迷ったら原点に立ち返るべし!
「そもそも」という魔法の言葉
目の前の選択に迷ったり、下した決断に不安を覚えた時、それらを解消する便利な言葉があります。
「そもそも」です。(タイトル通りですね。)
問題点の核となる部分や、物やアクションの真意にフォーカスを当てるときに、この言葉を使いますよね。
例としては
「そもそも自分は何がしたいのか…」
「そもそも何に対して悩んでいるのか…」
といった具合です。
―記事のタイトルにもある通り、今回一番伝えたかった部分はここです。
最善の選択を下すため、人生における指針を見失わないためには、折に触れて、この「そもそも」という言葉を使用し、自身の内面にある最も本質的な部分を浮き彫りにすることが大切なのです!
事あるごとにこの「そもそも」という言葉を意識することによって、本質を見失わないようになるだけではなくどんな状況でも思慮深く、冷静な判断ができるようになります。
その他の手段や思考の余地の再考を図ることであり、ともすればそれらの手段の中から最も重要なことを選び取り、思考の隙を与えないということは
すなわち迷いや不安自体が発生しなくなるということに他なりません。
●いくつもの理想をすべて同時に実現することは不可能であり、最善手以外を捨てるという行為は、それこそが“選択”するということでもありますので、
悩みや本質を見極めるという行為は、それらのごたごたの解決に直結する唯一の方法だといっても過言ではないでしょう。
「そもそも」という言葉にはそういった洗練された意思が宿っているんです。
だからこそ“魔法の言葉”という表現を使用させていただきました。
「そもそも私はなにが言いたいのか?」
「そもそもこの記事に需要はあるのか?」
「そもそもこの記事を誰か読んでくれているのか?」
皆さんも選択に迷ったらぜひこの言葉を使ってみてください!
「要は」「つまり」との違い
原点に立ち返っているか、終着点に結びつけているかです。
どちらも自身の発言を要約するときや、様々な意見を一つに導く際に使用しがちですが、これらの立ち位置は明確に分かれています。
問題の本質や原因にさかのぼって落としどころを見つける場合は「そもそも」、
話を分かりやすく整理したり、一旦の区切りをつけたい場合は「要は」や「つまり」を使用するようにしましょう。
答えがあると思ったら大間違い!
結局は自己満足の世界
「そもそも」論の話につながる部分でもありますが、ビジネスやその他人生の選択に対して悩みを抱えるということの原因として、“答えがある”と思っていることが挙げられます。
結論から言って、それらの不確定な事象に明確な答えなど存在しません。
頭ではわかっていてもこれは結構陥りやすい罠だと思います。
―筆者自身も偉そうなことを言っておきながら、自身の選択に対して、常に「正解」を見つけようとしてしまう癖があります。
「最善」ではなく「正解」というところが問題なんです。
●「最善」というのはベストであり、その場その時の状況に応じて、常に形を変えるものです。
一方
●「正解」というものは絶対的な正義であり、問題に対する唯一の答えのことを指します。
先ほども申し上げたように
人生において常に絶対的な答えなど存在しません。
―にもかかわらずそんな存在しないものに盲信し、それにすがろうとしていては、いつまでたっても出口は見つからず、結果ドツボにはまってしまうことになってしまいます。
それこそが、我々が自身の取った選択に対していつまでも頭を悩ませてしまう原因なのです。
結局は自己満足にすぎないのに、です。
人生に答えなんかない!(迫力)
そして反対にもしその選択が納得のいく物だったとしても、それは単なる自己満足だと知ることが大切です。
*要は“選択”に対する心の持ちようで、それは「正解」にも「不正解」にもなり得るということなんです。
「そもそも」という言葉は、このようにものごとの本質を浮き彫りにするのに非常に役に立ってくれます。
答えなんかないのだから、「後悔」も「満足」も自分の心が作り出した幻覚にすぎないということが、「選択」に対する感情の本質です。
おわりに
今回の記事はいかがでしたでしょうか?
「んなこたぁ言われなくても分かってらぁ!」
「上から能書き垂れてんじゃねぇ!」
とおしかりを受けてしまうかもしれませんね(汗)。
―しかしながら今回の記事が役に立ったという方が少しでもいるのなら、これまた幸いというところであります。
(もっと具体的なビジネスの話に関しては、別の記事で語っておりますので、よろしければそちらもご覧ください。)
それではまた次回の記事でお会いしましょう!
ご高覧いただきありがとうございました!
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