
皆さんどうもこんにちは、
ヒミコ(@himiko_25)です!
今回は、
ブログやアフィリエイトのセールスレターにおいて、
果たしてセンスは必要なのかという件について
語っていきたいと思います。
セールスレターにセンスは必要?
(尚、今回の記事は筆者自身の備忘録的側面が色濃く出た内容になっておりますので、全体を通して主観的、抽象的、又自問自答的長文&駄文といった内容に留まっておりますことをあらかじめお詫び申し上げます。)
文学的表現の効果
セールスレターの役目としては、本来読者の消費行動を促進するものであり、それが達成された時点でその文字列は本懐を遂げることができたということになります。
コンテンツとしての価値
ブログやアフィリエイトというのはそもそも長期的なビジネスモデルであり、
長い期間をかけて徐々に自身のファンを獲得していくことが目的の媒体においては、たとえセールスをかけるとしても完全に商売方面に割り切るのではなく、
という疑問が浮かんできます。
ともすれば、セールスレターというものが今まで商品を売り込む手段として使役されるだけの存在だったのに対し、セールスレター自体がコンテンツとしての価値を持ち合わせるという奇妙な逆転現象が発生しているということが結論付けられます。
情報過多社会において
これは情報社会が発達したことにより、情報自体が自らのアイデンティティを訴え始めたということなのかもしれません。
そして、それが行き過ぎると「ステルスマーケティング」という形に形態変化するのだと考えられます。
―それは、「世の中に溢れるすべての文章は、あまねくセールスレターなのではないか?」というものです。
全ての文章がセールスレター?
しかしそれは小説やコラムなどでも同じ事。
別段読者に媚びを売る文体でなくとも、その裏には何かしらの意図があるのが当然であり、その意図の存在こそがただの文章をセールスレターという存在に昇華している要因であるのならば、
すべての文章は何らかの行動の契機につながるものであるということが確認できます。
文章自体の存在意義
このように考えると、初めからセールスレターというものが特別ビジネスに迎合したものではなく、
消費者心理やマーケティング戦略といった言葉自体も、単なる文章に権威性を持たせるための冠詞に過ぎず、
その本懐を遂げることができるのであれば、センスという漠然とした物でさえもそれらの模造品と何ら変わりないのかもしれません。
結論センスは○○
少し遠回りしましたが、今記事の結論としては、
「セールスレターにセンスは必要であるとも必要でないとも言える」
という、どっちつかずのものとなります。
セールスレター云々センス云々とのたまうこと自体がナンセンスだったのかもしれません。
エンターテインメント性
さすがに本質までさかのぼりすぎて大分抽象的になってしまったので、ここで少し本線に戻って俗物的な見解も述べておこうと思います。
確かに商業的な気質を前面に押し出したお堅いセールスレターは、ライトな読者に嫌われる傾向にあります。
よって、万人に通用するうたい文句を打ち出したいのであれば、何か文章自体にエンターテインメント性を持たせることも必要なのかもしれません。
無駄が生み出す付加価値
そこでカギとなってくるのが、
冒頭で述べたセンス、文学的表現となるのです。
ただ単に伝わりやすさを追求した場合には無駄ともとれるファクターですが、
そして、
情報過多社会においては、そういった無駄こそが案外求められているのかもしれません。
センスの使い方
そんなこんなで、
セールスレターを書くにあたって、文学的センスというもの自体はあるに越したことはないというところに落ち着きました。
要はその使い方次第なので、自身の技量があるのならば、貪欲に利用していくことをおすすめします。
―以上で今回の記事は終わりになります。
長々とお付き合いいただきありがとうございました!
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